*** 2004年7月12日(月)~8日目、神様の策略 ***
五時に目が覚めてしまった。
リッチに朝風呂など楽しんでから、無料招待のホテル朝食へ行く。
しかし、またも胃が痛くなり、ベッドへ転がるハメに。何故だ。ヤガメを構成するビンボ細胞がリッチな食事を拒絶しているのか。でも昨日の豚まんはどう見ても庶民の食事だ。おかしい。
昼少し前、それでも根性で起きあがり、大阪の街に出る。
大阪も今年になってから一度訪れたことはあり、くいだおれ太郎やかに道楽の看板ガニなどは既に見物してある。大坂城もそのとき水上バスで遠巻きに眺めた。関心のある大阪メジャースポットのうちまだ訪れていなかったのは、棋士・坂田三吉で有名な通天閣だ。
心斎橋から天王寺へ出て、そこから歩く。大阪の梅田や心斎橋の辺りは東京や神戸と変わらないような近代的繁華街に思えたのだが、この新開地付近はまるで雰囲気が違う。微妙にうらぶれた感じのじいさんたちがたくさん歩いていた。
通天閣に上り、ビリケンさんの写真を撮る。妙にかわいいチビだが、一応これも神様らしい。アメリカの芸術家が夢に出てきたビリケンさんをその通りに作成したものだという。足をなでてお願いをするとかなうそうだ。展望台では何かの写真撮影をしていた。
新開地にはくたびれた感じの店が軒を連ねている。串カツ屋率がけっこう高いような気がする。聞いた話では、大阪ではソースの入れ物が共有のため、ソースの二度付けはルール違反なのだという。確かに、いくら秘伝でも見知らぬ人の唾液の付いたソースを使うのは気が引ける。それは東京人でも同じだ。ただ、そこで入れ物を客ごとに分けようとせず、あくまで入れ物は共有で客にマナーを求めるというのが、大阪なんだなあと思う。
体験してみたかったものの、胃が不安なので断念。通天閣付近に「元祖・更科そば」と書いてある店があったので、そばを食べてみた。わたしは元祖という文字にも弱い。
天王寺から大阪環状線で尼崎に出る。そこから宝塚線に乗り換えて宝塚の地に立つ。ここには宝塚の大歌劇場と手塚治虫記念館がある。わたしの目当ては後者である。
わたしは手塚・藤子マンガで幼少期を過ごした。手塚治虫の『火の鳥』『ブラックジャック』はあまりに衝撃的だった。これらの作品は藤子・F・不二雄のSF短編集ともどもわたしの想像世界のベースを構築してくれた。
『トキワ荘物語』『まんが道』ではマンガ家の共同生活にすごく憧れた(藤子不二雄の二人は手塚治虫がトキワ荘を引っ越した後、その部屋に移り住んだ。トキワ荘には他にも石森章太郎・赤塚不二雄などが住んだ他、通勤組にはつのだじろうや園山俊二らがいた)。
記念館で展示と短いアニメ上映を観てから、「アニメをつくろう」のコーナーにハマる。例えば立っている人がジャンプするという場面をつくる場合、立っている絵とジャンプした絵、着地した絵を描き、その間を埋めるような動きを描く。館内のおねえさんがそれらをスキャニングして連続再生してくれる。誰もが一度は(?)教科書の端に描いたであろうパラパラマンガの要領と同じで、絵が動いているように見える。
さらに手塚治虫の主要作品がほとんどそろっている自由閲覧コーナーから動けなくなる。閉館ぎりぎりまでいた。
宝塚駅に向かう途中、大歌劇場を再び通りかかると、裏門っぽいところにファンの人たちが集まって待っていた。スターがここから出てくるのだろう。
宝塚歌劇というとまず思い出されるのは『ヴェルサイユのばら』だが、わたしは原作を読んだことしかない。わたしが観たことのある宝塚作品は『エリザベート』だけだ。学生時代、初めてしたバイトの同僚のおねえさんがヅカファンで、オリジナル・ウィーンキャスト版のCDと一緒にヅカビデオを貸してくれた。エリザベートは実在の人物で、神聖ローマ皇帝フランツ・ヨーゼフの皇妃。風変わりなエピソードに富んだたいそうな美人で、三十歳くらいのときの肖像画が特に有名。
当時ちょうど必修の第二外国語でドイツ語に苦しめられていたわたしは、勉強とばかりにウィーン版を何度も聞き一緒になって歌ったが、"Die Schatten werden länger.(闇が広がる)"だの"Ich bin tot!(俺はもう死んでいるんだぜ!)"だのという日常会話として使えないセリフばかり覚えてしまった。
ヅカビデオのほうは……ファンの方には申し訳ないが、笑い転げた……。確かに衣装も踊りもとても華やかで綺麗なのだが、あの娘に優しく語りかけるヒゲパパ(もちろん女性)はちょっとねぇ……。
この日、宝塚~尼崎の間に位置する駅にあるそば屋で働いている人を訪ねることになっていたが、まだ時間が少しあった。さて、どうするか。
「一度大阪に戻って、駅の近くでお茶でも飲んだらどうだ。ザッハトルテの店があるぞ」
「なんやねん(コーヒーはおかわり自由。でも胃と相談してね)」
そのとき、ようやく背中のラッキーコンビが口を開いた。
「神様、ひどいじゃないですか。あなたがついていながら、どうして胃痛でのたうち回らなくちゃいけなかったんですか」
「東京でのベンチタイムの時の不摂生がたたったのだろう。しかもコンサートへ行くとき、わしらを家に置き去りにしてひとりで楽しみおって」
やはり根にもっていたのか。
「それに、後半戦では、ただ見知らぬ地に興奮するだけでなく、他にすることがあったのではないか?」
旅の残り時間は少なくなり、放置してきた日常がまた近づきつつある。解決すべき色々な問題も山積している。それらのことを、再び日常に埋もれる前に考えておかなければならない、と思っていたのだった。
そういえば、昨日今日と出かけられなかったおかげで、色々なことを考える時間ができた。
そしてこのお茶の時間もまた、考える時間だ。
八時頃、約束のそば屋に着いた。やはり旅先に訪ねたい相手がいるというのは嬉しいことだ。胃のためを思い、ゆばあんかけうどんを頼んだのだが、それがとてもおいしかった。しかもおみやげのおやつまでもらってしまった。明日の食糧に決定である。
ほくほく気分で心斎橋のホテルに戻る。